Diary from Tokyo

東京都在住。ジャンルを特に決めず、思ったことを書いていきます。

オリンピック関係者のいじめ報道

オリンピックの開会式で音楽を担当している方の

過去の壮絶ないじめが話題となっています。

 

少し前に旭川の事件に匹敵するか、それ以上のひどい

内容です。いじめられた方が亡くなっていないので、

事件扱いにはなりませんが、これは未成年のいじめなど

という許容できる内容ではありません。

それを、1994年頃に、自ら音楽雑誌で笑いながら語った

ことで発覚し、何度か避難をうけてきたものが、今回、

その方がオリンピックの開会式の音楽担当になったことで、

再度問題視されたものです。

 

それに対し、ツイッター上で謝罪文が掲載されました。

裏事情はわかりませんが、音楽はもう今更変更が効かない

ので使うとして、ご本人は辞任するように求める署名運動も

されているそうです。

 

今日の『サンデージャポン』でコメンテーターの1人の方が

「再チャレンジというのは過去のマイナスを埋め合わせる。

プラマイをゼロにすることを認めることなんで。これ批判と

擁護の声で批判の声が大きいというのはプラマイのマイナスを

埋め合わせる作業を単純にしてなかったことなんで。これは

再チャレンジとかじゃなくて批判されて当たり前の自業自得の話。」

とおっしゃっていたのに、完全に同意します。

 

いじめられていた側としては、それが謝罪目的であったとしても、

いじめていた人間には二度と会いたくも話したくもないですから。

そもそもそれを受け入れれば赦したことになってしまう。

そして「謝罪しました。」という形をいじめた相手に与えてしまう。

そのために、利用されるなんてまっぴらごめんだと思います。

 

話は変わりますが、先日、Yahooのまんが記事?で、過去にいじめを

受けていた同級生Aの子供と主人公の子供が同級生となって再会し、

その同級生Aと仲がいいママ友Bの子供と、自分の子供が遊びたがるので、

Bに遊ぼうといったところ、やんわり断られ続けており、「まさか、

Aが過去の自分のいじめをBに話したのでは」と勝手に疑います。

そして、Bを呼び出し、「誤解」を解こうとして、Aをいじめていた

ことと、いじめを受けていたことを「Aの過去の汚点」と表現します。

 

それに対し、BはAからいじめについては何も聞いていなかったことと、

「あなたはAにいじめをしていたのか?しかも、それをAの汚点だと

いうのか?私があなたを避けていたのは、あなたの取り入るような

態度が気持ち悪かったから。でも、私の人を見る目は間違ってなかった。

二度と連絡してこないで。」と言って去ります。

 

その後、主人公はAに直接謝り、「ありがとう。」とは言ってもらえ

ましたが、AともBとも距離は置かれているとありました。

※リンクを貼りたかったのですが、元記事が見つけられませんでした。

 

でも、いじめをしている人間の感覚ってこういう感じなのかもしれません。

まだ、過去にしたいじめがよくないこと(=人にいったら避難されること)

だったとわかっている分だけ、このまんがの主人公はましです。

ただ、それでも、「いじめは、いじめられた側の汚点」と考え、それを口に

してしまうところから、Bがまともで本当によかったと思わざるをえません。

 

いじめは「いじめた側の汚点」ですよ?

その時は何も言えなくても、過去にいじめをしていた人間だということは、

周りの人間は覚えていますから。その人が何か成功しそうになったら、

それを引き合いにだされるということは、いつでも起こりうるのです。

このまんがにしても、Bがそれを他のママ友に話して、主人公を逆に

今からハブにするようなこともできたでしょうけど、その価値もない

と判断されたのでしょう。私でもかかわらないようにすると思います。

今でも自分を見下している人から謝罪されても、Aも心に響くことは

なかったでしょう。

「関わらないで。」それだけです。

 

今回問題になっているミュージシャンは、いじめを武勇伝のように語った

とのことで論外ですが、いじめは、「いじめた側の汚点」です。

SNSの発達していなかった昔はだまっていじめられた側が耐えなければ

ならなかったけれど、今は、そういう時代でもなくなりました。

警察沙汰にならなくても、SNS上にいじめた人間が本名と写真付きで

さらされる時代です。

 

なんでもさらせば言い訳ではないけれども、どうか抑止力になって、

いじめがなくなってほしいと願わずにいられません。